平安時代前期の延暦十五年(796年)、大和国の紀真龍によって熊野三社が勧請され創建されたという。また同年八月には空海が当地を訪れ地蔵菩薩を刻み祀ったのが別当であった「那智山石上寺」の由緒ということで非常に歴史のあるう古社になります。御祭神は建速須佐之男命。
神社情報
- 神社名:和田神社
- 鎮座地:三重県亀山市和田町一一六八番地
アクセス:三重交通バス「和田団地東バス停」徒歩2分 │ 駐車場:×
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御祭神
- 建速須佐之男命
配祀神
- 伊邪那美神
- 天照大神
- 刃具神
- 罔象女神
- 埴安毘売命
社格等
- 延喜式神名帳:ー
- 国史見在社 :ー
- 近代社格制度:ー
境内社
- ー
- URL:https://jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=3037
- 御朱印:×
- 参拝日:2026-01-31
由緒・社歴
平安時代の延暦十五年(796年)に大和国の「紀真龍」が石ノ上布留の神(石上神宮)の信託により当地に那智山熊野権現を勧請し熊野三社として祀ったのが創建と伝えている。同年八月には空海が真龍の元を訪ね、地蔵菩薩を刻み一宇を建立したといい、これが「那智山石上寺」になります。こうした由緒から石上寺が別当を務めています。
時期は不明ですが、和田の地にて大火があり、火伏の神として尾張国の津島神社から牛頭天王を勧請し合祀したと社伝では伝えており、明治政府による神仏判然令によって神仏習合の神である牛頭天王は同一視された建速須佐之男命へと御祭神が代わっています。また、この時かどうかは不明ですが、熊野三社は仏教要素が強かったのか石上寺に移され、現在も石上寺に鎮座している様です。(この記事を書くまで石上寺の存在を知らなかったので・・・熊野三社は参拝してません・・・。)
明治四十一年に、鈴鹿郡井田川村大字和泉に鎮座する川俣神社に合祀された。太平洋戦争終戦によりそれまでの国による神社管理(国家神道)が終結し、氏子の熱意が大きかったのか昭和二十三年、現在の境内地に分祀奉斎されています。川俣神社の境外社として奉斎されてきたが昭和二十六年、神社本庁所属神社として独立承認を受けています。
- 創建:延暦十五年(796年)
- 分祀:昭和二十三年(1948年)十一月二十一日
- 再興:昭和二十六年(1951年)三月三十一日
- 創建:延暦十五年(796年)
- 紀真龍によって熊野三社が勧請され創建
- 延暦十五年(796年)八月:空海が参籠、地蔵菩薩を刻む
- 時期不明:大火により火伏せの神として津島社より牛頭天王を勧請
- 明治四十一年:大字和泉の川俣神社へ合祀
- 昭和二十三年;現在の境内地に分祀復座
- 昭和二十六年:神社庁所轄神社として創建
祭式
- 例大祭:未確認
- 祈年祭:未確認
- 新嘗祭:未確認
参拝記
和田神社は由緒から関係が非常深い「那智山石上寺」の北東側に鎮座しています。元々は和田神社の境内に熊野三社が祀られていたとか。

幟ポール併設型幟立石、社号標、由緒板、石造神明鳥居が据えられた境内入口になります。

鬱蒼と茂った鎮守の森の奥に社殿を微かに臨むことができます。個人的にはこうした山の中の神社って非常に好きです。

銅板葺木造四本柱タイプの手水社になります。各柱が転びがついておらずほぼ垂直になっています。

入母屋造瓦葺平入の拝殿を有する社殿になります。狛犬が生息しておらず、拝殿のすぐ前に手水社というすこし特異な社殿配置となっています。
和田神社参拝時にはその存在を全く知らず、且つ見たはずなのに全く気にも留めなかったのですが、ここ和田神社には明治十三年に明治天皇が大阪鎮台、名古屋鎮台兵対抗運動を天覧された事を記念して建てられた石碑が本殿脇に据えられています。この時に明治天皇が亀山市内で泊まられた建物が亀山神社の境内に移築され現在もその姿を見ることができます。
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