亀山市立井田川小学校の南側、三重県亀山市川合町の昔からの集落の中心に鎮座する須佐之男神社の紹介です。御祭神は建速須佐之男命。明治41年に川俣神社に合祀されるが昭和22年に分祀復座した神社になります。
神社情報
- 神社名:須佐之男神社
- 鎮座地:三重県亀山市川合町一二八番地一号
アクセス:JR東海 関西本線「井田川駅」徒歩18分 │ 駐車場:◯
< 紹介した三重県に鎮座する神社一覧 >
御祭神
配祀神
- 菊理比売命
- 火之迦具土命
- 木花開耶比売命
- 大山津見命
- 速山津見命
ポイント
須佐之男神社の五柱の配祀神は旧井田川村大字川合に鎮座していた神社の御祭神になります。井田川村は海善寺村、川合村、小田村、西富田村、中富田村、和泉村、和田村・井尻村の八ヶ村が合併してできた村であり、昭和二十九年には亀山町などと合併して亀山市が発足し消滅しています。消滅年に先立つ昭和二十六年、一度は川俣神社に合祀された神社が八地区に分祀されています。合祀される以前の形での分祀ではなく各地区の主たる神社にまとめた形での分祀となっています。
- 大字川合鎮座:富士社(御祭神:木花開耶比売命)
- 大字川合鎮座:山神社(御祭神:大山津見命、速山津見命)
- 大字川合鎮座:愛宕社(御祭神:火之迦具土命
須佐之男神社は上記三社を合祀した形での分祀復座となっています。
須佐之男神社の境内は元々白山社が鎮座しており、白山社の境内に須佐之男神社の仮宮を造営したが、昭和五十三年に社殿を造営し現在の社名に変更したとしています。この事から、白山社は川俣神社に合祀されなかった可能性もありそうです。
Googleマップのストリートビューで確認すると、須佐之男神社の本殿が二棟並んで鎮座している事が見て分かります。上記のことから、片方は須佐之男神社の本殿であり、もう一方は白山社の本殿になりそうです。
社格等
- 延喜式神名帳:ー
- 国史見在社 :ー
- 近代社格制度:ー
境内社
由緒・社歴
明治四十一年六月、明治政府による神社合祀令によって鈴鹿郡井田川村の各地に鎮座する神社を大字和泉に鎮座する川俣神社に合祀され、川合地区に鎮座する須佐之男神社も同様に合祀された。しかし、太平洋戦争終戦によりそれまでの国による神社管理(国家神道)体制が終結し、川合地区の氏子の熱意により昭和二十二年に現在の地に分祀、現在の地に仮宮を造り遷座された。昭和五十三年、社殿を始めとする神社構造物を造営し、遷座した。
大正四年に発刊された「鈴鹿郡郷土史」には、大字和泉に鎮座する川俣神社に合祀された三十三の神社の社名と御祭神が記されています。そこには「須佐之男社、大字川合に在りて、須佐之男命を祭りしものなり。」と記されています。
- 創建:不詳
- 分祀:昭和二十二年(1948年)十月
- 再興:昭和二十六年(1951年)三月三十一日
- 創建:不詳
- 明治四十一年:大字和泉の川俣神社へ合祀
- 昭和二十二年:白山社の境内に分祀復座
- 昭和二十三年:神社庁所轄神社として創建
- 昭和五十三年:造営工事が行われ遷座
鈴鹿郡井田川村:川俣神社
明治四十一年に井田川村内の神社を大字和泉に鎮座する「川俣神社」に合祀したが、昭和二十三年に各地区に分祀した神社は下記の通り
- 旧和泉村:川俣神社(御祭神:大穴牟遅命)
- 旧海善寺村:若一大神社(御祭神:正哉吾勝勝速日天忍穂耳命)
- 旧川合村:須佐之男神社(御祭神:建速須佐之男命)
- 旧小田村:大御寶神社(御祭神:建速須佐之男命)
- 旧西富田村:川俣神社(御祭神:多紀理毘売命)
- 旧中富田村:川俣神社(御祭神:大毘古命)
- 旧和田村:和田神社(御祭神:建速須佐之男命)
- 旧井尻村:神明社(御祭神:天照大御神)
明治時代に行われた神社合祀を太平洋戦争後まさに否定するかのように井田川村を構成した旧八ヶ村に分祀が行われているのが非常に印象に残ります。地元の総意からいかにかけ離れた神社合祀だったのかがここからも判りますね。
祭式
参拝記
川合町の昔からの集落の中心となるであろう場所に須佐之男神社が鎮座しています。幟竿が閉まっている棚?の前あたりが広くなっているのでここに車を止める事ができそうです。川合町の旧集落?の周囲は造成工事による区画整理された住宅地が広がっていて、新旧の集落の対比ができてしまいます。
記念すべき当サイト最初の記事で「若一大神社」を紹介していますが、須佐之男神社と同じく大字和泉に鎮座する「川俣神社」へ合祀が行われています。明治政府によって行われた神社合祀令によって三重県は全国でも一番とも言われる神社合祀が強行された県になります。これは三重県の神社を巡っていると御祭神(配祀神)の多い神社が多数鎮座している事からも感じる事が多かったりします。
鈴鹿郡にあった八つの村が合併してできた「井田川村」に鎮座していた神社を川俣神社一社に纏めてしまおうとする時点である意味常軌を逸する政策であることがわかる訳ですが、これは明治時代になって全国各地に鎮座する神社全てを国が管理するとした時点である程度神社を纏めないと国家財政と地方財政を必要以上に圧迫してしまう為、神社合祀令は予算圧縮する為だったとも言われており、まさに「無い袖は振れぬ」的な政策だった訳です。この視点から井田川村の合祀策を見ると、財政が厳しかったのか?って思ってしまいますね。
- 亀山市: 20社鎮座 紹介2社目 2/20
- 三重県:815社鎮座 紹介2社目 2/815
< 紹介した三重県に鎮座する神社一覧 >
幟ポールを設置し現代風に改良した幟立石と石造神明鳥居が据えられている境内入口になります。高齢化社会へと爆進している現代において大祭の度に幟竿を設置して幟を掲げる手間と労力を考えたら、幟ポールを設置するするのは予算との兼ね合いもあるとは思いますがもっと推し進めるべき改良点だと思います。
銅板葺木造四本柱タイプの手水社になります。逆光だったのもあって細部がわかりにくくなって申し訳ないです。
昭和五十年代生まれの量産岡崎型と呼ばれる狛犬一対になります。岡崎出身の自分にとっては非常に馴染みのあるお姿となっていて安心感を抱く事ができる狛犬です。
狛犬の特徴
全国に一万社以上が鎮座する神社のその大半に据えられている「狛犬」。狛犬は邪気を祓い、神前を守護していると考えられています。その為、拝殿の前、参道、境内入口など要所に左右一対で据えられています。
神道には「神様から見て左側(神前向かって右側)が上位」という思想があり、祭式作法、神社様式など神社に関わるほぼ全てがこの思想の影響を受けています。
狛犬もこの思想を色濃く反映されていて、向かって右側に口を開いた阿像、向かって左側に口を閉じた吽像が据えられています。口を開いたり口を閉じたりしているのは、阿吽は、インゴのサンスクリット語の最初の音「ア」と最後の音「ウン」を発音した時の口の形を表しているとも言われ、「宇宙の最初と最後」を意味しているとも。この事から、「ア」を表現している阿像が上位としている訳です。
入母屋造瓦葺平入の入母屋破風による向拝が設けられた拝殿を有する社殿になります。本殿は先に述べた様に二棟の神明造の本殿が並び鎮座しているのが特徴です。
伊勢神宮、氏神の神社、そして皆様が崇敬している神社の御神札をご自宅にお祀りされていますか?
現在ではアパートなどの賃貸住宅でも気軽に御神札を祀る事ができる神棚が登場しています。今まで賃貸住宅で神棚が置けないと御神札をお祀りできなかった方も、こうした神棚をご用意されてお祀りされてみてはいかがでしょうか?
¥13,998
(2026/03/29 20:57:36時点 楽天市場調べ-詳細)