三重県亀山市に鎮座する能褒野神社の紹介です。明治十二年に能褒野王塚古墳が日本武尊陵墓に治定された事を契機に日本武尊を御祭神として創建された神社になります。現在は境内周辺は「のぼのの森公園」として歴史を感じることができる公園として整備されています。
神社情報
- 神社名:能褒野神社
- 鎮座地:三重県亀山市田村町一四〇九番地
アクセス:亀山市コミュニティーバス「のぼのの森公園バス停」徒歩1分 │ 駐車場:◯
< 紹介した三重県に鎮座する神社一覧 >
御祭神
- 日本武尊
配祀神
- 弟橘姫命
- 建貝児王
- 御食津神
- 大穴牟遅神
- 長白羽神
- 瀬織津比賣命
- 天照大御神
- 伊邪那美命
- 大八洲之霊
- 玉依比責命
- 品陀和気命
- 建速須佐之男命
- 玉柱屋姫命
- 金山毘古命
- 息長帯比賣命
- 木花咲耶姫命
- 久那斗神
- 八衢比古神
- 八衢比賣神
- 奥津比古神
- 奥津比賣神
- 火乃迦具土神
- 倭姫命
- 天児屋根命
- 天布刀玉命
- 菅原道真公
- 柿本人麻呂公
- 大雀命
- 大山津見命
- 速玉乃男命
- 大事忍男神
- 猿田比古命
社格等
- 延喜式神名帳:伊勢國鈴鹿郡 那久志里神社
- 延喜式神名帳:伊勢國鈴鹿郡 志婆加支神社
- 延喜式神名帳:伊勢國鈴鹿郡 縣主神社
- 国史見在社 :ー
- 近代社格制度:県社
境内社
- ー
- URL:https://jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=3036
- 御朱印:◯
- 参拝日:2026-01-31
由緒・社歴
古事記・日本書紀ともに日本武尊は能褒野の地で死去したと書かれており、延喜式諸陵寮にも「能褒野墓」と記されているが、後世では所在不明となっていた。有力候補は加佐登にある「白鳥塚古墳」であり一度は明治九年に宮内庁より日本武尊陵墓の治定されたが、一説には当時は円墳とされた白鳥塚古墳では天皇皇子の陵墓には相応しくないとの判断から白鳥塚古墳の治定は取り消され、 明治十二年にこの地方最大規模の前方後円墳だった「能褒野王塚古墳」が新たに日本武尊の陵墓と治定された。
宮内庁は「能褒野王塚古墳」を天皇皇子の陵墓に相応しい外観とするべく改修工事を実施し、この工事の進捗に呼応するように地元では日本武尊を祀る神社の創建の機運が高まり、明治十六年、神宮祭主だった久邇宮朝彦親王より「能褒野神社」と社号が選定され、翌十七年には能褒野王塚古墳の側に神社創建の許可があり、宮家からの幣帛料を賜るなど国家主導のような形で造営工事が進み、明治二十八年(1895年)に社殿竣工し鎮座祭が執り行われた。
明治四十二年、明治政府による神社合祀令により近隣の約四十社の神社を合祀した上で村社に列格した。この時、合祀した小天宮の御祭神である「弟橘姫命」と県主神社の御祭神である「建貝児王」を配祀とした。
大正十四年六月には県社に昇格し、同年十月には県社昇格報告祭が執り行われ「秩父宮、高松宮、伏見宮、閑院宮、東伏見宮、山階宮、賀陽宮、久邇宮、梨本宮、朝香宮、東久邇宮、北白川宮、竹田宮より「御鏡餅料」を賜り、三重縣知事以下200余名の参列を得て、当社初代宮司、伊藤忠孝以下18名の祭官にて荘厳なる祭儀が執り行われた。」と記録されている。
- 創建:明治二十八年(1895年)
- 明治四十二年(1909年):近隣約四十社の神社を合祀
- 明治四十二年(1909年):村社に列格
- 大正十四年(1925年):県社に昇格
- 大正十五年(1926年):亀山駅前に巨大な一の鳥居が建立される
祭式
- 例大祭:十月八日
- 祈年祭:未確認
- 新嘗祭:未確認
参拝記
県道639号線の安楽川を渡河する能褒野橋の北詰の近くにある「のぼのの森公園」は日本武尊陵墓と能褒野神社を中心として整備された公園となっています。車の場合はこの公園の駐車場を利用して参拝する形になるかと思います。

県道639号線側に設置された能褒野神社に通じる境内入口になります。能褒野神社を囲むように「のぼのの森公園」が整備されているので公園に溶け込んでいるように感じます。ふと写真を見て気づいたらのですが社号標に彫られている旧社格は「村社」のままなんですね。

参道を進んでいくと、日本武尊陵への参道が分岐を示す標柱が登場します。石柱の奥に見える正対している鳥居は公園の反対側からの境内入口に据えられた鳥居で、右側で見切れている鳥居は社殿に通じる参道に据えられた鳥居なります。

こちらが先ほどの境内入口とは反対側に設けられた参道入口に据えらえた石造神明鳥居になります。奥に小さく見えているのが正面側の鳥居になります。

石造明神鳥居、石造灯籠一対などが据えられた二の鳥居(境内入口?)になります。

銅板葺木造四本柱タイプの手水社になります。

非常に造形が特徴的な狛犬一対です。

明神鳥居の三の鳥居になります。

切妻瓦葺平入、濡縁と入母屋破風の向拝が設けられた拝殿を有する社殿になります。

能褒野神社の本殿は非常に壮大な造りになっています。明治四十三年十一月、神宮司廰より皇大神宮撤下の御用材を頂戴して翌明治四十四年に「宮柱は太く、千木は高々に本殿が神々しく築き改められた。」とあるのでこの時に造営された本殿なんだとか。規模は違うかと思いますが、神宮の御本殿もこんな感じの姿なんでしょうね。

拝殿前には、合祀された式内社である「那久志里神社」の社号標が移設されており、たぶんこちらの鳥居も那久志里神社のものが移設されたと思われます。この鳥居をくぐった先には、

水神と山神の石碑が祀られていました。これも村内から移設されたものかな。
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