亀山市

川俣神社:三重県亀山市加太板屋 延喜式内社【論社】

三重県亀山市加太板屋に鎮座する延喜式内社の論社である川俣神社の紹介です。御祭神は大比古命。川俣の社名の如く加太川とその支流が合流する場所に鎮座している神社になります。

神社情報

  • 神社名:川俣神社
  • 鎮座地:三重県亀山市加太板屋五四七〇番地

アクセス:亀山市コミュニティーバス「板谷バス停」徒歩3分│ 駐車場:◯

< 紹介した三重県に鎮座する神社一覧 >

御祭神

  • 大比古命

配祀神

  • 神武天皇
  • 仁徳天皇
  • 品陀和気命
  • 豊受姫命
  • 大日孁貴尊
  • 他十二座

ポイント

 明治四十年に加太村に鎮座する無格社四十二社が川俣神社に合祀されています。昭和十二年発刊の郷土調査によると御祭神は「大比古命他十七座」と記されています。三重県神社庁のHPを参照すると大比古命と配祀神五柱については記載されていますが残りは不明となっています。

  • 山神社:二十四座
  • 須賀社;一座
  • 愛宕社:四座
  • 浅間社:三座
  • 社後神社:一座
  • 津島社:四座
  • 稲荷社:一座
  • 若宮八幡社:一座(境内社:市杵嶋社、稲荷社)
  • 大嶽八幡宮:一座
  • 神明社:一座

加太村内に鎮座していた神社を川俣神社に集約する大規模な神社合祀令が行われているのですが、令和の現在となると過疎化が避けられない地域であり、神社の維持管理の面を考えると合祀していて正解だったのか?と思ってしまいます。当然、当時はこんな少子化&過疎化は全く想定していなかったでしょうけど。

社格等

  • 延喜式神名帳:伊勢國鈴鹿郡 川俣神社
  • 国史見在社 :ー
  • 近代社格制度:村社

境内社

  • 相殿

由緒・社歴

詳細は不詳。
元々は中在家に鎮座していたが、度々の洪水により現在の境内地に遷座したという。(中在家の舊社地には石碑が立っています。)
貞享年中(1684-88年)に加太城主:鹿伏兎家の家臣、坂宮内少輔の子孫である坂氏が梶ヶ坂に奉斎した平野大神(御祭神:神武天皇、仁徳天皇)を合祀した。

  • 創建:不詳
  • 年代不詳:中在家から現在の境内地に遷座
  • 貞享年中(1684−88年):平野大神を合祀
  • 明治四年:村社に列格
  • 明治四十年(1907年):村内四十二社を合祀
  • 明治四十一年(1908年):大字見当鎮座 神明社合祀

祭式

  • 例大祭:七月第一日曜日
  • 祈年祭:未確認
  • 新嘗祭:未確認

参拝記

 今回紹介する加太板屋に鎮座する川俣神社は東海道の関宿から分岐した「大和街道(現在はほぼ国道25号線となっています。)」に設けられた加太宿本陣近くに境内地を構える神社となっています。

 延喜式内社を示す「式内」が合わせて彫られた社号標と「川俣城跡」の石標が据えられた境内入口になります。川俣神社の境内は大和街道に沿うような感じでこの場所から西側に真っ直ぐ街道と並行するように参道が伸びています。

 写真右側に見切れている道路が大和街道になります。

 石造灯籠一対と明神鳥居の一の鳥居が据えられているこの場所から真っ直ぐ山道が伸びているのが見てわかるかと思います。

 幟立石一対、石造灯籠一対、明神鳥居の二の酉が据えられています。今まで開けていた参道から一転して鎮守の杜の中に入っていくそんな感じです。

 鳥居をくぐるといきなり下り階段が現れます。全く予備知識なしで参拝していたので下り坂の参道って珍しいなと思っていたのですが、境内入口にも石標がありましたがどうやら川俣城時代の掘の部分になるみたいです。

 堀の底部には手水社が設けられています。愛知県に住んでいる時から城跡に鎮座する神社を何ヶ所か参拝してきましたが、こうして堀部分まで境内としている神社は正直記憶がありません。全国的にも少数派だとは思うのですが・・。

 そしてこの切妻造瓦葺妻入様式となっている手水社なんですが、水盤は設置されておらず・・・。

 こうして井戸の様になっている場所には水が湛えており、壁にかかっている柄の長い竹の柄杓で水を汲んで手水を行う様式になっています。これは・・・湧水かな?

 手水社の脇には神明鳥居の三の鳥居が据えられ、ここから石段の山道が伸びています。

川俣城

川俣神社が鎮座する場所は元々室町時代この地を領していた「鹿伏兎氏」が築いた「御霊ヶ丘陣屋」跡地になります。南北朝時代の応永六年(1399年)に勃発した応永の乱で敗れた佐々木満喬と楠木正盛がと共に鹿伏兎城三代城主「鹿伏兎忠賀」を頼り、この御霊ヶ丘陣屋に拠ったとされ、応永十九年(1412年)には内堀を掘るなどの城郭の拡張が行われ、応永二十一年(1414年)に伊勢国司である「北畠満雅」によって検分が行われ「川俣城」と改称したそうです。

式内社 川俣神社 

 鈴鹿川に沿って式内社川俣神社の論社となる神社が六社鎮座しています。加太板屋に鎮座している川俣神社周辺を見ると水田可耕地に恵まれず、また古墳等の遺跡もほとんど発見されていないなど式内社が鎮座するにはあまりにも山間僻地である一方で「鈴鹿川の最上流に鎮座していることから他の川俣神社の祖である。」という伝承も残っている神社でもあります。

  • 亀山市: 20社鎮座 紹介13社目 13/20
  • 三重県:815社鎮座 紹介21社目 21/815

< 紹介した三重県に鎮座する神社一覧 >

 石段を登り切ると明神鳥居の四の鳥居が据えられ、その先に境内が広がっています。

 一段高くなった場所に神明鳥居の五の鳥居、石造灯籠一対、狛犬一対が据えられ、その先に社殿が鎮座しています。手前の木は枝垂れ桜の様です。大きさから考えても桜の季節は非常に絵になる場所になりそうです。

切妻瓦葺木造四本柱タイプの手水舎になります。水盤と井戸が設けられているタイプになります。先ほどの手水舎といい、この井戸といい、近くに川俣の地名の語源となったとされる「加太川」とその支流が流れている事から地下水が豊富なのでしょうか。

 石造狛犬一対になります。全体の彫の深さから明治後半から大正期頃の生まれかなと思うのですが・・。

狛犬の特徴

 全国に一万社以上が鎮座する神社のその大半に据えられている「狛犬」。狛犬は邪気を祓い、神前を守護していると考えられています。その為、拝殿の前、参道、境内入口など要所に左右一対で据えられています。

 神道には「神様から見て左側(神前向かって右側)が上位」という思想があり、祭式作法、神社様式など神社に関わるほぼ全てがこの思想の影響を受けています。

 狛犬もこの思想を色濃く反映されていて、向かって右側に口を開いた阿像、向かって左側に口を閉じた吽像が据えられています。口を開いたり口を閉じたりしているのは、阿吽は、インゴのサンスクリット語の最初の音「ア」と最後の音「ウン」を発音した時の口の形を表しているとも言われ、「宇宙の最初と最後」を意味しているとも。この事から、「ア」を表現している阿像が上位としている訳です。

 入母屋造瓦葺平入の濡縁が設けられた拝殿を有する社殿になります。この建築様式の拝殿は全国的に見ても標準的な造りなのでしょうか。自分が運営する姉妹サイトでは「御堂仕様」と呼んでいた建築様式で愛知県三河地方で非常によく見かけるタイプと同仕様かと思われます。

 詳細は不明な境内社なのですが、推測にはなってしまいますが明治になって合祀された神々が祀られている相殿になっているのではないでしょうか。

  • 本殿:神明造(千木:外削ぎ・鰹木:五本)
  • 神門;◯(千木:外削ぎ・鰹木:三本)
  • 幣殿:◯
  • 拝殿:◯(平入、向拝なし)

 伊勢神宮、氏神の神社、そして皆様が崇敬している神社の御神札をご自宅にお祀りされていますか?
 現在ではアパートなどの賃貸住宅でも気軽に御神札を祀る事ができる神棚が登場しています。今まで賃貸住宅で神棚が置けないと御神札をお祀りできなかった方も、こうした神棚をご用意されてお祀りされてみてはいかがでしょうか?

-亀山市
-, , , ,