三重県亀山市関町坂下の東海道における交通の難所であった鈴鹿峠を見守るように鎮座する片山神社の紹介です。御祭神は倭姫命。歴代の斎王がこの地で禊を行ったとも伝わる場所で元々は祓戸三神を御祭神としていたが、いつしか伝説的斎王の倭姫命を合祀した神社になります。
神社情報
- 神社名:片山神社
- 鎮座地:三重県亀山市関町坂下六三六番地
アクセス:亀山市コミュニティーバス西部コース「伊勢坂下バス停」徒歩28分 │ 駐車場:◯
< 紹介した三重県に鎮座する神社一覧 >
御祭神
- 倭比売命
配祀神
- 瀬織津比売神
- 気吹戸主神
- 速佐須良比売神
- 坂上田村麿
- 天照大神
- 速須佐之男命
- 市杵島姫命
- 大山津見神
社格等
- 延喜式神名帳:伊勢國鈴鹿郡 片山神社
- 国史見在社 :ー
- 近代社格制度:村社
境内社
- 愛宕社
- 稲荷社
- URL:https://jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63888
- 御朱印:×
- 参拝日:2025-12-30
由緒・社歴
創建は不詳だが、社伝によると三子山という所に瀬織津姫命、伊吹戸主命、速佐須良姫命の祓戸三神を奉祀創建された神社であるという。しかし、時期は不明だが火災により「鈴鹿頓宮古宮」に遷座した。しかし、仁和二年(886年)に頓宮の火災により再び三子山に遷座したが、永仁二年(1294年)に野火により類焼した為、現在の地となる鈴鹿獄の麓多津加美坂を宮地を定めて社殿造営、斎王の祖とされる倭姫命を併祀して鈴鹿大明神の号を奉った。
江戸時代になり東海道が整備され伊勢峠が街道に組み込まれると東海道屈指の交通の難所であることもあって行き交う旅人の安全祈願の篤い崇敬を集める神社となり、亀山藩の歴代藩主からも崇敬を集め、社領として沓掛八石が寄進されています。
明治四年七月には村社に列格し、明治四十年からは神社合祀令の元、近隣の神社を合祀いていきます。明治四十年、田村神社、山神社を合祀、明治四十一年、境内社(大山祇社・翁社)、沓掛神明社(神名祠・山祇社)、市瀬市之瀬社(牛頭天王祠・厳島社・山神社)を合祀しています。
- 創建:不詳
- 年代不詳:火災により鈴鹿頓宮故宮に遷座
- 仁和二年(886年):火災により三子山に遷座
- 永仁二年(1294年):野火により現在の境内地に遷座
- 明治四年(1871年):村社に列格
- 明治四十年(1907年):田村神社・山神社を合祀
- 明治四十一年(1908年):大山祇社・翁社・神明祠・山祇社・牛頭天王祠・厳島社・山神社を合祀
祭式
- 例大祭:四月十二日
- 祈年祭:未確認
- 新嘗祭:未確認
参拝記
旧東海道の時代も交通の難所であり、現在、ほぼ東海道をトレースする形で整備されている国道1号線でも鈴鹿峠は難所だったようで上下線が分離されて少しでも事故が無いように整備されています。そして今回紹介する片山神社はそんな上下線が分離している場所のところに鎮座している為、車で神社に向かう場合は、上り線からしか片山神社に向かう事ができないので注意が必要です。亀山方面から向かう際は、上下線をつなぐ短絡線を使用してUターンして向かうことになります。

ストリートビューの場所が国道1号線から片山神社に向かう旧東海道への分岐になります。この分岐から東海道側を望むと片山神社の社号標が据えられています。旧東海道は非常に狭い上に視界のあまりよろしくない森の中を進んでいくことになるので気をつけて進む必要があります。

東海道を進んでいくと片山神社の正面にたどり着く事ができます。石垣が堆く積まれたまるで城郭のような境内とまさに鬱蒼と茂った森に囲まれた雰囲気がいつの間にか落ち着いた気分にさせてくれます。東海道はここから葛折りとなって一気に鈴鹿峠を登っていくのですが、現代風に整備されておらず東海道が現役だった雰囲気を残していると思います。

片山神社の正面の写真を撮影していた場所を振り向くとこんな感じ。右側から登ってきて、まさにUターンのような感じで左の道でさらに山を登っていきます。

そして、少し登っていくとまさにこんな感じの峠道へと変貌していきます。この旧東海道ですが歩く人が減って徐々に森に飲み込まれて行っている為、絶対に当時より歩きにくくなっているであろうとは思います。関宿からここまでも中々の上り坂が続いているのにここからの峠越えはまさに過酷の一言ですね。ふと思ったのですが、明治天皇が京都から東京に向かった「東京行幸」をされた時は当然鉄道網は構築されておらず、陸路または海路で向かう事になるのですが、wikiによると陸路で向かったとあるのでそうなると明治天皇もこの峠を越えた(まあ・・・輿などに乗っていたと思うので自力で越えてはないと思いますが。)んでしょうね。これを示す様に明治元年九月二十三日に明治天皇の勅使植松権少将が代参し祝詞奏上奉幣を行っています。

片山神社の境内入口は手水社、延喜式内と合わせて彫られた社号標、木造神明鳥居、永代常夜燈が据えられています。

石段の参道の途中に神門がもうけられています。このアングルから神社だと想像する方は少数で大多数の方は城跡と思うのでは無いでしょうか。それくらい今まで参拝してきた神社の中でもかなり特異な神社になります。

この神門脇に石造の社が鎮座しています。実はここ片山神社は平成十一年に放火によって社殿を焼失してしまい、長い間再建が行われなかった様ですが、この先火災にも耐える事が出来るようにと石造で本殿を造営されたそうです。

石造流造の本殿になります。周囲の石垣と相まって全く違和感を感じないのですが、これだけ歴史のある神社としては少し寂しい感じになってしまいます。

本殿を参拝した後、さらに石段を登っていきます。鉄道網、道路網が整備される前の鈴鹿峠を超える多くの旅人の参拝があった時代の片山神社の境内を見てみたいと思わせてくれるこの石段と石垣。そして何やら建物が建っていたであろう場所。こうして徐々に朽ちていっている所を見るにつれ鈴鹿峠周辺の過疎化も重なって氏子の形も減少しているであろうこの時代、神社の維持運営も大変なんだと思わずにはいられません。

石段を登りきると、そこには本殿を含む社殿が鎮座していたであろう空間が広がっていました。社殿がどの方向に向いて鎮座していたのかは全く分からないのですが、中央に写っている岩肌とか何とも言えない雰囲気が漂っています。

すこし撮影方向を変えてみました。この岩肌周辺にはたぶん社殿が燃えてしまった時に類焼したであろう燃えた木々の後などが今も見る事ができます。しかしその木々の間から新しい植物が生えていて自然は生きているんだなと改めて実感しました。
ただ、火事で消失してしまう以前の片山神社の社殿の写真がまったく見つかりません・・。色々ネットで探してはいるのですが、平成十一年まではここに鎮座していた訳で写真は絶対にあると思うのですけどね・・・。

境内社の稲荷社の鞘堂になります。屋根のゆがむなど老朽化が進んでいます。石が黒くなっているのは家事の影響なんでしょうかね。
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