鈴鹿市

賀茂大神社:三重県鈴鹿市平野町

 三重県鈴鹿市平野町に鎮座する賀茂大神社の紹介です。御祭神は鴨別雷命、玉依毘売命、健角身命の三柱となっており、他に明治四十一年に合祀された神社の御祭神を配祀しています。賀茂大神社が鎮座している地域は平安時代には上皇または法皇の荘園であり、都との結びつきが強かった事から上賀茂神社・下鴨神社の御祭神を勧請したと伝えられています。

神社情報

  • 神社名:加茂大神社
  • 鎮座地:三重県鈴鹿市平野町九六七番地

アクセス:三重交通バス「平野バス停」徒歩4分 │ 駐車場:×

< 紹介した三重県に鎮座する神社一覧 >

御祭神

  • 鴨別雷命
  • 玉依毘売命
  • 健角身命

配祀神

  • 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命
  • 高龗神
  • 天目一箇命
  • 栲幡千千比売命
  • 建速須佐之男命
  • 石長比売命
  • 大穴牟遅命
  • 少毘古那命
  • 志那津比古命
  • 志那津比売命
  • 天之水分神
  • 国之水分神
  • 津速産霊神
  • 市千魂命
  • 興台産霊神
  • 八意思兼神
  • 倉稲魂命
  • 大田之命
  • 大宮姫命
  • 久那斗神
  • 奥津比古神
  • 奥津比売命
  • 金山毘古神
  • 金山毘売神
  • 大雀命
  • 崇徳天皇

合祀神

  • 八衢比古神
  • 八衢比売神
  • 火産霊神

ポイント

三柱の御祭神は京都に鎮座する上賀茂神社と下鴨神社の御祭神になります。両神社は元々は同一神社で賀茂氏が奉斎してきた神社でしたが平安期に別れたが両神社とも賀茂氏が禰宜を勤めています。両神社とも山城国一宮であり式内社であり近代社格では官幣大社に列格しています。

上賀茂神社の御祭神

  • 鴨別雷命

下鴨神社の御祭神

  • 玉依毘売命
  • 健角身命

 両賀茂神社の御祭神には次のような逸話が「山城国風土記」に記されています。この書の中で賀茂建角身命の娘の玉依毘売が賀茂川で遊んでいたところ、川上から丹塗矢が流れてきた。この矢を持ち帰って寝床の近くに置いたところ玉依毘売は懐妊し、男の子が生まれた。これが子が賀茂別雷命であるという。そして、賀茂別雷命が成人を祝う宴の席で祖父の賀茂建角身命が「この酒をお前のお父さんにも分けてあげなさい。」と言うと、賀茂別雷命は屋根を突き抜け天に昇っていった。この事で、賀茂別雷命の父親が神であることがわかったという。ちなみに、丹塗矢の正体は乙訓神社の火雷神であったという。

こういった関係性の御祭神だったんですね。さらに余談ですが、賀茂建角身命は別名「八咫烏」と呼ばれ、神武天皇の東征の際に先導したと伝えられている神になります。さらに八咫烏はサッカー日本代表のシンボルとなっていますね。

社格等

  • 延喜式神名帳:ー
  • 国史見在社 :ー
  • 近代社格制度:村社

境内社

  • 不詳境内社一社

由緒・社歴

 平野の地は「東鑑」によると後院御荘の地であったと記され、村内には京の様式が取り入れられており、当神社も京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)から勧請され奉斎され、天正十七年に造営されたと棟札に記されているそうです。

さて、後院御荘とはなんぞや?という事ですが、平安時代において天皇が譲位後に生活する「仙洞御所」や他に設けられた離宮などに付属する荘園の事になるそうです。簡単に言えば、「上皇または法皇の私的領地」となると思います。

明治年中に村社に列格し、明治四十年に周辺の小社・祠を合祀しています。

  • 創建:天正十七年(1589年)
  • 正徳年中(1711-16年):正一位賀茂大明神の神階を得る
  • 明治年中:村社に列格
  • 明治四十年(1907年):村内の小社・祠を合祀

祭式

  • 例大祭:未確認
  • 祈年祭:未確認
  • 新嘗祭:未確認

参拝記

 県道54号線:鈴鹿環状線沿いに鎮座する加茂大神社の紹介になります。神社から少し東に進むと本田技研鈴鹿製作所が存在しているそんな場所になります。道路幅は狭いのですが中々の交通量があり、また参拝者駐車場は見当たらなかったので、車での参拝の際は注意が必要かと思います。

 幟ポール一対、社号標、神明鳥居、石造灯籠一対、手水社が据えられた境内入口になります。三重県の神社を巡っていると幟立石を幟ポールに変更している神社をよく見かけ、その作りが幟立石と幟竿をオマージュした作りなっているのが秀逸だなと思っています。すでに紹介している神社でもこの様式の幟ポールに変えている所が多かったと記憶しているので、良かったこの辺りにも注目して他の記事を読んでもらえたらと思います。

 現在は使用されていない手水社になります。後から紹介しますが、境内に新しい手水社が設けられているのでこちらの使用は休止したんでしょうね。柱に郵便ポストが設けられているのも初見ですな。

 明神鳥居による二の鳥居になります。賀茂大神社の参道は石段を有しており、社殿の立つ境内は道路から見ても高台となっています。

 そういえば、なぜここ賀茂”大”神社という社名になっているんでしょうか。賀茂神社でいいと思うのですがあえて”大”をつける意味とは?
 Google先生に「大神社」について尋ねると

「大神社」は「おおかみのやしろ」と読むことができ、何らかの大神を祀る神社の意になる。

との回答がありました。賀茂神社という大社からの分霊を奉斎しているということから賀茂”大”神社としょうしているのでしょうかね。

  • 鈴鹿市: 67社鎮座 紹介11社目 11/67
  • 三重県:815社鎮座 紹介31社目 31/815

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 二の鳥居脇に据えられた平成生まれと思われる子乗り、玉乗り狛犬一対になります。口などの朱は造営当時のものなのかな。

 先に紹介しますが、

 拝殿前に鎮座する明治生まれと思われる狛犬一対になります。なんとなく新しい狛犬のが荒々しい顔つきで邪気を払ってくれそうな雰囲気を醸し出していますね。

狛犬の特徴

 全国に一万社以上が鎮座する神社のその大半に据えられている「狛犬」。狛犬は邪気を祓い、神前を守護していると考えられています。その為、拝殿の前、参道、境内入口など要所に左右一対で据えられています。

 神道には「神様から見て左側(神前向かって右側)が上位」という思想があり、祭式作法、神社様式など神社に関わるほぼ全てがこの思想の影響を受けています。

 狛犬もこの思想を色濃く反映されていて、向かって右側に口を開いた阿像、向かって左側に口を閉じた吽像が据えられています。口を開いたり口を閉じたりしているのは、阿吽は、インゴのサンスクリット語の最初の音「ア」と最後の音「ウン」を発音した時の口の形を表しているとも言われ、「宇宙の最初と最後」を意味しているとも。この事から、「ア」を表現している阿像が上位としている訳です。

 二の鳥居を潜り、石段を登ると狛犬ならぬ狛牛が現れます。その先に神明鳥居の三の鳥居も見えています。

 御祭神(配祀神)のなかに菅原道真公の名前が見当たらず、天満宮は合祀されていない様に見受けられます。となるとこの狛牛はどこから登場したのでしょうか・・・。

 狛牛の先に境内社が鎮座しています。ただ、どんな境内社なのか、詳細は全くわかりません。

 近年造営工事されたと思われる銅板葺木造二本柱の前後に支柱が設けられた手水社になります。

 入母屋造瓦葺平入に入母屋破風の向拝が設けられた拝殿を有する社殿になります。本殿は流造で鞘堂が設けられていました。

  • 本殿:流造(千木:不明・鰹木:不明)
  • 神門;ー
  • 幣殿:ー
  • 拝殿:◯(平入、向拝あり、濡縁なし)

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