亀山市

若一大神社:三重県亀山市井田川町

若一大神社は国道1号線・25号線併用区間沿いの亀山市と鈴鹿市の市境からすぐの所に鎮座している神社になります。主祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳命。明治41年に川俣神社に合祀されるが昭和23年に分祀復座した神社になります。

神社情報

  • 神社名:若一大神社(じゃくいちだいじんじゃ)
  • 鎮座地:三重県亀山市井田川町六九九番地三号

アクセス:JR東海:関西本線「井田川駅」 徒歩5分 │ 駐車場:◯

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御祭神

  • 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命

配祀神

  • 八衢比古神
  • 大若子神
  • 乙若子神
  • 木花咲耶比売命
  • 建速須佐之男命

ポイント

若一大神社の五柱の配祀神は旧井田川村大字海善寺に鎮座していた神社の御祭神になります。井田川村は海善寺村、川合村、小田村、西富田村、中富田村、和泉村、和田村・井尻村の八ヶ村が合併してできた村であり、昭和二十九年には亀山町などと合併して亀山市が発足し消滅しています。消滅年に先立つ昭和二十六年、一度は川俣神社に合祀された神社が八地区に分祀されています。合祀される以前の形での分祀ではなく各地区の主たる神社にまとめた形での分祀となっています。

  • 大字海善寺鎮座:山神社(御祭神:八衢比古神)
  • 大字海善寺鎮座:梅田社(御祭神:大若子神、乙若子神)
  • 大字海善寺鎮座:津島社(御祭神:建速須佐之男命)
  • 大字海善寺鎮座:富士社(御祭神:木花咲耶比売命)

若一大神社は上記四社を合祀した形での分祀復座となっています。

社格等

  • 延喜式神名帳:ー
  • 国史見在社 :ー
  • 近代社格制度:ー

境内社

  • 石塔:四基確認

由緒・社歴

明治四十一年に、鈴鹿郡井田川村大字和泉に鎮座する川俣神社に合祀された。太平洋戦争終戦によりそれまでの国による神社管理(国家神道)が終結し、氏子の熱意が大きかったのか昭和二十三年十一月二十一日に現在の境内地に分祀奉斎されています。川俣神社の境外社として奉斎されてきたが昭和二十六年三月十五日、神社本庁所属神社として独立承認を受け、同年三月三十一日に宗教法人登録が完了した。

 大正四年に発刊された「鈴鹿郡郷土史」には、大字和泉に鎮座する川俣神社に合祀された三十三の神社の社名と御祭神が記されています。そこには「若一神社、大字海善寺に在りて、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命を祭りしものなり。」と記されています。

  • 創建:不詳
  • 分祀:昭和二十三年(1948年)十一月二十一日
  • 再興:昭和二十六年(1951年)三月三十一日
  • 由緒不詳
  • 明治四十一年:大字和泉鎮座「川俣神社」に合祀
  • 昭和二十三年;現在の境内地に分祀復座
  • 昭和二十六年:神社庁所轄神社として創建

鈴鹿郡井田川村:川俣神社

明治四十一年に井田川村内の神社を大字和泉に鎮座する「川俣神社」に合祀したが、昭和二十三年に各地区に分祀した神社は下記の通り

  • 旧和泉村:川俣神社(御祭神:大穴牟遅命)
  • 旧海善寺村:若一大神社(御祭神:正哉吾勝勝速日天忍穂耳命)
  • 旧川合村:須佐之男神社(御祭神:建速須佐之男命)
  • 旧小田村:大御寶神社(御祭神:建速須佐之男命)
  • 旧西富田村:川俣神社(御祭神:多紀理毘売命)
  • 旧中富田村:川俣神社(御祭神:大毘古命)
  • 旧和田村:和田神社(御祭神:建速須佐之男命)
  • 旧井尻村:神明社(御祭神:天照大御神)

明治時代に行われた神社合祀を太平洋戦争後まさに否定するかのように井田川村を構成した旧八ヶ村に分祀が行われているのが非常に印象に残ります。地元の総意からいかにかけ離れた神社合祀だったのかがここからも判りますね。

祭式

  • 例大祭:未確認
  • 祈年祭:未確認
  • 新嘗祭:未確認

参拝記

 若一大神社は亀山市と鈴鹿市の市境のすぐ近くに鎮座しているのですが、境内の横を国道1号線と25号線併用区間となっている主要国道が走っているのですが、少し分かりにくくなっているので、何気に境内の横を通り過ぎている方も多いのではないでしょうか。思うに、分かりにくくなっている要因は、昭和二十六年に創建後、国道1号線が拡幅され境内地が削られた形になった為なのか若一大神社の境内入口は非常に狭く、国道1号線の歩道から無理やり繋げられた様な感じになっていて、明確な境内入口が国道側に無い為なんじゃないかと。参拝して思ったのですが多くの参拝者は社殿の裏側に建てられた公民館側から神社に向かっていると思いますし、実際自分も公民館側にバイクを停めて参拝しているので想像はそんなに外れてないかと思われます。

 かくゆう自分も、三重に引っ越す以前からこの区間を車で走る機会が何度かあって、神社巡りをしていたことが幸いだったのか神社がここに鎮座している事には気づいてはいましたが「ふーん、ここに神社があるのね。」くらいの感覚でしたので、今回三重県の神社を巡るというこの企画を立ち上げなかったら立ち寄って参拝することはなかったのではないかと思っていたります。そう思うと、何かを決意するっていうことは自分の精神上非常に大きな意味を持つんだなという事を改めて認識することになった訳です。三重県下には九百社近い神社が鎮座しているのですが、コンプリートできるまでこの決意が続く様に頑張っていきたいと思います。

  • 亀山市: 20社鎮座 紹介1社目 1/20
  • 三重県:815社鎮座 紹介1社目 1/815

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 公民館側から神社に参拝するとぐるっと境内を回り込む形になってしまいますが、若一大神社の正面側になります。参道が端側には石灯籠一対、幟ポール一対、扁額が掲げられた石造明神鳥居が据えられています。

 社殿前に据えられた狛犬一対になります。一般的な狛犬の据え方とは阿吽が逆になっていますね・・・。わざわざ阿吽を反対にする必要はないと思うのですが・・・。

狛犬の特徴

 全国に一万社以上が鎮座する神社のその大半に据えられている「狛犬」。狛犬は邪気を祓い、神前を守護していると考えられています。その為、拝殿の前、参道、境内入口など要所に左右一対で据えられています。

 神道には「神様から見て左側(神前向かって右側)が上位」という思想があり、祭式作法、神社様式など神社に関わるほぼ全てがこの思想の影響を受けています。

 狛犬もこの思想を色濃く反映されていて、向かって右側に口を開いた阿像、向かって左側に口を閉じた吽像が据えられています。口を開いたり口を閉じたりしているのは、阿吽は、インゴのサンスクリット語の最初の音「ア」と最後の音「ウン」を発音した時の口の形を表しているとも言われ、「宇宙の最初と最後」を意味しているとも。この事から、「ア」を表現している阿像が上位としている訳です。

 この姿の狛犬でしたら、阿吽を反対にして、さらに顔を参道の中心(正中)に向くようにそれぞれ90度方向を変えて据えるのがいい感じがするんですが・・・。

 石造瑞垣に囲まれたその中心に覆殿(鞘堂)が設けられ、その中に本殿が鎮座しています。拝殿は設けられていません。

 本殿脇に、町内にて祀られてきたであろう石碑が据えられていました。一番左側に写っているのは庚申信仰の神である「青面金剛」だと思うのですが・・・。庚申信仰は明治政府による神仏判然令によって修験道の禁止ともに息の根を止められた信仰の一つになるかと思います。ちなみに日光東照宮で有名な「三猿(見ざる言わざる聞かざる)」も庚申信仰から生まれたんだとか。

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