若一大神社は国道1号線・25号線併用区間沿いの亀山市と鈴鹿市の市境からすぐの所に鎮座している神社になります。主祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳命。明治41年に川俣神社に合祀されるが昭和23年に分祀復座した神社になります。
神社情報
- 神社名:若一大神社(じゃくいちだいじんじゃ)
- 鎮座地:三重県亀山市井田川町六九九番地三号
アクセス:JR東海:関西本線「井田川駅」 徒歩5分 │ 駐車場:◯
< 紹介した三重県に鎮座する神社一覧 >
御祭神
- 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命
配祀神
- 八衢比古神
- 大若子神
- 乙若子神
- 木花咲耶比売命
- 建速須佐之男命
社格等
- 延喜式神名帳:ー
- 国史見在社 :ー
- 近代社格制度:ー
境内社
- 石塔:四基確認
- URL:https://jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63884
- 御朱印:ー
- 参拝日:令和八年(2026年)一月三十一日
由緒・社歴
明治四十一年に、鈴鹿郡井田川村大字和泉に鎮座する川俣神社に合祀された。太平洋戦争終戦によりそれまでの国による神社管理(国家神道)が終結し、氏子の熱意が大きかったのか昭和二十三年十一月二十一日に現在の境内地に分祀奉斎されています。川俣神社の境外社として奉斎されてきたが昭和二十六年三月十五日、神社本庁所属神社として独立承認を受け、同年三月三十一日に宗教法人登録が完了した。
大正四年に発刊された「鈴鹿郡郷土史」には、大字和泉に鎮座する川俣神社に合祀された三十三の神社の社名と御祭神が記されています。そこには「若一神社、大字海善寺に在りて、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命を祭りしものなり。」と記されています。
- 創建:不詳
- 分祀:昭和二十三年(1948年)十一月二十一日
- 再興:昭和二十六年(1951年)三月三十一日
- 由緒不詳
- 明治四十一年:大字和泉鎮座「川俣神社」に合祀
- 昭和二十三年;現在の境内地に分祀復座
- 昭和二十六年:神社庁所轄神社として創建
祭式
- 例大祭:未確認
- 祈年祭:未確認
- 新嘗祭:未確認
参拝記
若一大神社は亀山市と鈴鹿市の市境のすぐ近くに鎮座しているのですが、境内の横を国道1号線と25号線併用区間となっている主要国道が走っているのですが、少し分かりにくくなっているので、何気に境内の横を通り過ぎている方も多いのではないでしょうか。思うに、分かりにくくなっている要因は、昭和二十六年に創建後、国道1号線が拡幅され境内地が削られた形になった為なのか若一大神社の境内入口は非常に狭く、国道1号線の歩道から無理やり繋げられた様な感じになっていて、明確な境内入口が国道側に無い為なんじゃないかと。参拝して思ったのですが多くの参拝者は社殿の裏側に建てられた公民館側から神社に向かっていると思いますし、実際自分も公民館側にバイクを停めて参拝しているので想像はそんなに外れてないかと思われます。

公民館側から神社に参拝するとぐるっと境内を回り込む形になってしまいますが、若一大神社の正面側になります。参道が端側には石灯籠一対、幟ポール一対、扁額が掲げられた石造明神鳥居が据えられています。

社殿前に据えられた狛犬一対になります。一般的な狛犬の据え方とは阿吽が逆になっていますね・・・。わざわざ阿吽を反対にする必要はないと思うのですが・・・。
この姿の狛犬でしたら、阿吽を反対にして、さらに顔を参道の中心(正中)に向くようにそれぞれ90度方向を変えて据えるのがいい感じがするんですが・・・。

石造瑞垣に囲まれたその中心に覆殿(鞘堂)が設けられ、その中に本殿が鎮座しています。拝殿は設けられていません。

本殿脇に、町内にて祀られてきたであろう石碑が据えられていました。一番左側に写っているのは庚申信仰の神である「青面金剛」だと思うのですが・・・。庚申信仰は明治政府による神仏判然令によって修験道の禁止ともに息の根を止められた信仰の一つになるかと思います。ちなみに日光東照宮で有名な「三猿(見ざる言わざる聞かざる)」も庚申信仰から生まれたんだとか。
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