三重県鈴鹿市西富田町に鎮座する延喜式内社の論社となっている川俣神社の紹介です。御祭神は多紀理毘売命。亀山市・鈴鹿市に川俣神社が多い中で式内社有力論社であり、江戸時代には亀山藩から式内社比定されている。
神社情報
- 神社名:川俣神社
- 鎮座地:三重県鈴鹿市西富田町七◯九番地
アクセス:三重交通バス「西富田神社前バス停」徒歩1分 │ 駐車場:×
御祭神
「多紀理毘売命」は天照大御神と建速須佐之男命の間で行われた「誓約」にて誕生した宗像三女神の一柱で、海の神、航海の神として信仰を集めています。福岡県宗像市に鎮座する「宗像大社」では沖ノ島の沖津宮に祀られています。
配祀神
- 経津主命
- 武甕槌神
- 玉依毘売命
- 品陀和気命
- 息長帶比売命
- 崇徳天皇
- 大穴牟遅命
- 金山毘古神
- 八街比古神
- 八街比売神
- 久那斗神
ポイント
川俣神社の十一柱の配祀神は旧井田川村大字西富田に鎮座していた神社の御祭神になります。井田川村は海善寺村、川合村、小田村、西富田村、中富田村、和泉村、和田村・井尻村の八ヶ村が合併してできた村であり、昭和二十九年には亀山町などと合併して亀山市が発足し消滅しています。その後、小田町、西富田、中富田、和泉は鈴鹿市に分割合併となっています。井田川村の消滅年に先立つ昭和二十六年、一度は和泉村に鎮座していた川俣神社に合祀された神社が八地区に分祀されています。しかし、合祀される以前の形での分祀ではなく各地区の主たる神社にまとめた形での分祀となっています。
- 大字西富田鎮座:川俣神社(御祭神:彦座命)
- 大字西富田鎮座:前上神社(御祭神:経津主命、武甕槌神)
- 大字西富田鎮座:八幡宮(御祭神:玉依毘売命、品陀和気命、息長帶比売命)
- 大字西富田鎮座:山 神(御祭神:八街比古神、八街比売神、久那斗神)
- 大字西富田鎮座:金刀比羅社(御祭神:崇徳天皇、大穴牟遅命、金山毘古神)
鈴鹿郡郷土誌には西富田に鎮座して川俣神社に合祀された神社一覧が記されています。この誌によると西富田の川俣神社の御祭神は多紀理毘売命ではなく彦座命であるとしています。さて、どこから「多紀理毘売命」が登場したのでしょうか・・。
しかし・・・一度は亀山藩より式内川俣神社として否定された西富田鎮座の川俣神社ですら明治政府による神社合祀令によって合祀されて一時とはいえその姿を消してしまっています。この辺りからもいかに強引に合祀が行われていったのかが窺い知ることができます。
社格等
- 延喜式神名帳:伊勢國鈴鹿郡 川俣神社
- 国史見在社 :ー
- 近代社格制度:郷社
境内社
由緒・社歴
創建は不詳だが、正和二年(1313年)、貞治六年(1367年)、至徳三年(1368年)の棟札が現存する事から古くとも鎌倉時代から当地に鎮座していた事がわかります。
江戸時代には「八王子社」と称されていた様です。
- 創建:不詳
- 分祀:昭和二十三年(1948年)十一月二十一日
- 再興:昭和二十六年(1951年)三月三十一日
- 創建:不詳
- 明治四年(1871年)八月:郷社列格
- 明治四十一年(1908年):大字和泉鎮座川俣神社に合祀
- 昭和二十三年(1948年):分祀により復座
- 昭和二十六年(1951年):神社庁所轄神社として創建
鈴鹿郡井田川村:川俣神社
明治四十一年に井田川村内の神社を大字和泉に鎮座する「川俣神社」に合祀したが、昭和二十三年に各地区に分祀した神社は下記の通り
- 旧和泉村:川俣神社(御祭神:大穴牟遅命)
- 旧海善寺村:若一大神社(御祭神:正哉吾勝勝速日天忍穂耳命)
- 旧川合村:須佐之男神社(御祭神:建速須佐之男命)
- 旧小田村:大御寶神社(御祭神:建速須佐之男命)
- 旧西富田村:川俣神社(御祭神:多紀理毘売命)
- 旧中富田村:川俣神社(御祭神:大毘古命)
- 旧和田村:和田神社(御祭神:建速須佐之男命)
- 旧井尻村:神明社(御祭神:天照大御神)
明治時代に行われた神社合祀を太平洋戦争後まさに否定するかのように井田川村を構成した旧八ヶ村に分祀が行われているのが非常に印象に残ります。地元の総意からいかにかけ離れた神社合祀だったのかがここからも判りますね。
祭式
参拝記
今回紹介する西富田の川俣神社は安楽川に架かる「和泉橋」の北詰近くに鎮座しています。境内は旧東海道に面しており、江戸時代は安楽川には土橋が架けられ、増水した時などは渡が出ていたとか。なんにせよ川の合流地点に近いということで水害は多かったんじゃないのかなと思ってしまう地域でもあります。
延喜式内社である川俣神社の論社は六社にものぼっています。「川俣」がどこを指すのかは不明である為、鈴鹿川に沿った「川俣」の意に近い伝承を持つ神社が亀山市・鈴鹿市の各地に誕生することになったという。
川俣神社・論社(鈴鹿川上流より)
- 亀山市加太板屋鎮座
- 鈴鹿市和泉町鎮座
- 鈴鹿市西富田町鎮座
- 鈴鹿市中富田町鎮座
- 鈴鹿市庄野町鎮座
- 鈴鹿市平田町鎮座
式内社尊重の風潮から江戸時代から式内を称する様になったと考えられる事から、この六社のうち、加太板屋、西富田、中富田に鎮座する三社が式内社として有力視されているが治定まではされていない様です。
- 鈴鹿市: 67社鎮座 紹介3社目 【3/67】
- 三重県:815社鎮座 紹介5社目 【5/815】
旧東海道沿いに設けられ、式内と合わせて彫られた社号標が据えられた川俣神社の境内入口になります。社殿は東向きに鎮座していて、旧東海道は境内の西側を南北に通っている事から社殿の裏側となる西入りの境内となっています。
境内入口から少し奥側に石造神明鳥居が据えらえています。左に見えているのが社殿になります。右側に写っているコンクリートブロックの擁壁と土手は安楽川の堤防になります。
明治生まれだとは思うのですが風化が進んでしまっている狛犬一対になります。
狛犬の特徴
全国に一万社以上が鎮座する神社のその大半に据えられている「狛犬」。狛犬は邪気を祓い、神前を守護していると考えられています。その為、拝殿の前、参道、境内入口など要所に左右一対で据えられています。
神道には「神様から見て左側(神前向かって右側)が上位」という思想があり、祭式作法、神社様式など神社に関わるほぼ全てがこの思想の影響を受けています。
狛犬もこの思想を色濃く反映されていて、向かって右側に口を開いた阿像、向かって左側に口を閉じた吽像が据えられています。口を開いたり口を閉じたりしているのは、阿吽は、インゴのサンスクリット語の最初の音「ア」と最後の音「ウン」を発音した時の口の形を表しているとも言われ、「宇宙の最初と最後」を意味しているとも。この事から、「ア」を表現している阿像が上位としている訳です。
銅板葺木造四本柱タイプの手水舎になります。柱に転びがつけられていませんが、十字に筋交がつけられていて視覚的に安心感が感じられる手水舎かと思います。異なるタイプの水盤が二基並んで据えられているのが特徴的ですね。
切妻瓦葺平入の拝殿を有する社殿になります。掲げられている扁額にも「延喜式内川俣神社」と書かれています。
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